石垣島の歴史【歴史】

【石垣島の歴史】

石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡では、約2万7千年前の人骨が見つかっており、全身骨格がほぼ残ったものとしては国内最古 の遺跡である。石垣島ではその時代から人類が生息していたと見受けられる。

紀元前1700年有土器時代・・・土器の使用が始まる(下田原遺跡、仲間第二貝塚)
紀元前500年無土器時代・・・(大泊浜貝塚、仲間第一貝塚)
714年『日本書紀』に大和朝廷との交流記述あり
1185年平家の落武者が石垣島に来島
1390年八重山が琉球(中山)王府の統治下となる
1500年オヤケアカハチの乱(八重山征伐)仲宗根豊見親一族が、与那国征伐するも失敗
1500年仲宗根豊見親の次男、祭金が八重山頭となり、仲宗根豊見親一族が、実質的な八重山の支配者となる
1522年仲宗根豊見親一族が、第二回目の与那国征伐。与那国も琉球王国支配下になる
1524年首里王府から送られた西塘が、竹富大首里八重山大屋子となる 実質的に八重山も琉球の支配下になった
奄美群島から八重山までを統治下においた尚真王によって、琉球王朝の最盛期を迎えた
1543年蔵元を竹富島から石垣島に移す
1602年八重山で疱瘡発生。死者多数
1609年薩摩藩が琉球に侵攻。琉球は薩摩の支配国となる
1611年薩摩による八重山検地
1614年桃林寺・権現堂創建
1625年石垣島、桴海村津波に襲われ全村流潰(八重山島年来記)
1637年宮古・八重山に人頭税が科せられる
1667年石垣島で大地震(八重山島年来記)
1694年波照間高康、中国から石垣島にサツマイモ伝来
1709年八重山で大飢饉
1722年八重山で大飢饉
1771年八重山地震
明和の大津波。八重山で9,400人、石垣島で人口48%が死亡
1776年八重山で飢餓と疫病が3年も続く
1835年八重山で、風疹で636人死亡、疫病で1996人死亡
1852年アメリカ船ロバートバウン号中国人苦人を乗せて崎枝に漂着、石垣島沖に逃げた中国人労働者380人が、追手の英国人に、128名が殺される。(唐人墓)
1819年宮良殿内建立
1872年琉球処分により琉球王国が琉球藩となる
1879年廃藩置県により琉球藩から沖縄県に。八重山も沖縄の一部となる
1886年西表島西部や内離島で石炭の採掘を開始
1895年日本は尖閣諸島を領土に編入
1896年尖閣諸島の古賀辰四郎により開拓と移住が始まる
1903年人頭税廃止
1919年衆議院選挙法施行
1920年石垣島でも衆議院の選挙が始まる
1933年石垣島台風(1600戸、半壊1400戸、死者5人)
1940年尖閣諸島は無人化する
1941年第二次世界大戦が勃発
1944年日本軍が八重山の軍事強化。13000人の日本軍が常駐することとなる
八重山各地の住民が、マラリア発生地区へ強制移住させられる(戦争マラリア)
十・十空襲、石垣島の軍事飛行場などが被害を受ける
1945年正月早々激しい空襲がおこる
石垣島米軍捕虜惨殺事件(石垣島事件)
6月23日沖縄終戦
尖閣諸島戦時遭難事件
8月15日日本終戦
マラリアで疎開した3,825人が命を落とす
1946年アメリカ軍政府は沖縄民政府を作り知事を任命
八重山は八重山庁として、独自の行政機関をもつこととなった
1948年沖縄各地から、西表島(住吉地区)へ開拓民の移住が始まる
1952年沖縄民政府は琉球政府となる Bドル発
1958年石垣島北東沖地震(震度5)
1960年西表島西部の石炭の採掘を廃止 マラリア撲滅
1964年大浜町が石垣市に編入し、石垣島は1島1市になる
1966年与那国近海地震(津波)
イリオモテヤマネコが発見される
1967年南西航空就航
1972年沖縄が日本復帰
1978年7月30日、車が左側通行になる
1980年石垣島一周道路完成
1987年於茂登山トンネル開通(1174m)
2007年石垣港離島ターミナル供用開始
2013年新石垣空港開港
2018年石垣港新港地区旅客ターミナル暫定供用開始
宮良殿内